仏師(仏像彫刻師)定朝(じょうちょう)の955回忌法要がありました。
場所はいつもの千本「上品 蓮臺寺」様。

以下、このブログでも紹介しました内容です。
定朝は、大仏師・小仏師などの制度を整備したといわれ、
後に、仏師の世襲や流派が次第に定まっていきました。
もともと、寺院に所属して仏像を彫ってきた仏師が、
独立した工房を設けて、弟子たちとともに多くの仏像を製作するという
システムを造り上げたのがこの定朝です。
定朝の作った「七条仏所」には、関連する職人さんも近くにいたといわれ、
きわめて大規模であったといわれています。
代表作は宇治平等院「鳳凰堂」の「阿弥陀如来座像」ですが、
漆塗りや金箔押し、彩色の技術は当時から素晴らしいものであったと
うかがうことが出来ます。
はるか平安時代に今の仏像彫刻や、仏具製作の基礎を築いたと言われる定朝さん。
京都の、いや、日本の宗教用具の基礎を築いた人物と言っても
過言ではないでしょう。
もう少し重く扱われてもいいと思うのですが…
場所はいつもの千本「上品 蓮臺寺」様。

以下、このブログでも紹介しました内容です。
定朝は、大仏師・小仏師などの制度を整備したといわれ、
後に、仏師の世襲や流派が次第に定まっていきました。
もともと、寺院に所属して仏像を彫ってきた仏師が、
独立した工房を設けて、弟子たちとともに多くの仏像を製作するという
システムを造り上げたのがこの定朝です。
定朝の作った「七条仏所」には、関連する職人さんも近くにいたといわれ、
きわめて大規模であったといわれています。
代表作は宇治平等院「鳳凰堂」の「阿弥陀如来座像」ですが、
漆塗りや金箔押し、彩色の技術は当時から素晴らしいものであったと
うかがうことが出来ます。
はるか平安時代に今の仏像彫刻や、仏具製作の基礎を築いたと言われる定朝さん。
京都の、いや、日本の宗教用具の基礎を築いた人物と言っても
過言ではないでしょう。
もう少し重く扱われてもいいと思うのですが…
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