FC2ブログ
朝に礼拝 夕に感謝!
京都にある老舗仏壇・仏具店から「あんなこと」「こんなこと」さまざまな情報を発信します。朝(あした)に礼拝(らいはい) 夕(ゆうべ)に感謝!
201910<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201912
北海道での落慶法要
先日、お世話になっているお寺様の法要へ行って参りました。
場所は遠く、“北の大地”。

北海道の中でも東の端、網走に近い美幌という町。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の美教寺様です。

!cid_F0E4D2C4-9105-4E0F-BF7F-E384C3C3FA53.jpg

隣の北見市は、常呂町が「カーリング」で有名ですね。

さて、今回は納骨施設(メインは合同墓)を納品させていただきました。

!cid_B0F496E4-B983-4D16-B1C4-3CC4D4C3D297.jpg

!cid_34B07039-A32E-42C6-8C1C-3CC3C78B23C4.jpg

法要後に感謝状をいただき、有り難いことです。

!cid_57858FEF-4400-42E1-BF84-B7BC11607FCF.jpg

最近は、お墓、納骨堂の考え方も随分変わっています。
お寺にお骨を預けるわけですから、一家に一区画、というのが当たり前でしたが、
徐々にお一人用という考え方が一般的になってきました。

最近新しく作られた「築地本願寺」の合同墓には次のような説明があります。
「代々の墓」をお持ちにならない、お墓を継承することが困難である、
ご家族に心配をかけないよう生前に自身の埋葬について意思表示したい、
というお悩みに答えたお墓です。

現在、樹木葬や合同葬などお骨が他の方と一緒になってしまうものもありますが、
ここでは、遺骨は個別にお骨袋に入った状態で収蔵されます。


今回の美教寺さんも、考え方は同じ。
お墓を家で持つことは基本で大切なのですが、そのご縁のない方も多いようです。
もちろん元々の家の宗派がわからない方も多数いらっしゃいます。

七回忌まで、十三回忌までというような一定期間の預かりと、
その後の対応を考えた施設として、
合同墓はお寺側にとっても預ける側にとっても合理的な施設です。

お寺を含めたエンディング産業として、
納骨施設は今後ますます変化してくることが予想されますが、
ご縁のあった故人を大切に扱うという根本の想いは
変わらないと思います。

全ては決意から始まる。
[全ては決意から始まる。]の続きを読む
令和元年 開明社報恩講
先日、西本願寺さんの出入りの会、開明社の報恩講がありました。

!cid_3FA3A811-61ED-4D39-9682-D2C9C5693677.jpg

毎年この時期に行われますが、”レジュメ”の中にある
勝如上人の御消息(昭和23年、前々御門主から開明社への手紙)の一節には
次のように書かれています。


かえりみるに開明社はそのかみ石山合戦に際して宗主に尽し
法難に殉ずるものを出し後に本刹とともに京都に移って以来は
常に金穀労務の奉仕に遺弟の懇念を運び 前々住上人に開明社の名を
授けられ、調度を納めるの命を受けてより専ら調度出入方として
卸報謝の奉仕にいそしまれたことはまことに奇特のことゝ
感激に堪えないところであります

!cid_A7612337-D510-4018-A90C-4AF510962407.jpg


石山合戦??っていつの時代?というくらい時代劇の中の話ですね。
1570年から1580年といいますから、
徳川幕府ができる前、今から450年も前のお話です。

その頃に織田信長や豊臣秀吉と戦った本願寺。
当時強大な勢力を誇っていたので権力者に恐れられたといわれますが、
それだけ信じる方々が多かった、一般庶民に大変わかりやすく説いた教え
だったのではないでしょうか。

もちろん、創業190年の若林佛具製作所は石山合戦の頃に存在していません。
開明社に入会したのもつい最近です。

時代は移り変わって、今後お寺様のあり方も変化していく時代。
若林佛具製作所は、変わらずお客様のことを考えながら進んで参りたいと思います。
100年先には世界に認められ、新たな企業価値を作っていることでしょう!

いつもながら歴史を感じるひとときでありました。


クルマの展示会にて
日曜日に、国際会館でのクルマの展示会に行って参りました。


「MATSUSHIMAホールディングス」といって、京都のディーラーさん。
アウディやBMW、MINIといった外車を多く扱われています。

そこにMAYBACH(マイバッハ)のS650ベンツが置いてありました。
完全VIP対応の高級車仕様です。

この中身がちょっと興味深い。

松島さんの会社にKiwakotoというブランドがあります。

!cid_B97876D1-0315-42FA-827E-DC77978977F9.jpg

伝統工芸がクルマというカタチをまとって進化する…
きわこと(際殊)とは古語で「格別であるさま」という意味だそうです。

実際に後部座席に座ってみると…

!cid_215F17CC-9123-4165-9F9C-1752F5D1E96D.jpg

まず、天井が西陣織の布で覆われています。
ドアレバー横や後部座席まわりなどの木部には漆・蒔絵が施されています。

!cid_0A361D85-2E2A-400F-8893-9F72605A7431.jpg

!cid_51B96AB5-C45A-4176-A833-E9C53ED0ACA9.jpg

!cid_691DBA27-3541-4A64-9421-3899A67F210E.jpg

メイキングムービーの漆の場面では、堤漆の専務さんがお話されていました。
施工はすべて京都の工芸に携わる方々ばかりです。

クルマの内装基準からすると工芸技術を多くの場所に使用することは
難しいのかも知れませんし、その分コストも跳ね上がります。

しかし、こうして実際にそれを施したクルマを見るとイメージが湧きます。
いずれ若林佛具製作所にもこういう具体的施工例を見せる場所が必要です。

単一職種ではない複合的職種の集合体である京都の仏具職人、
若林佛具製作所がチャレンジをスタートしている、
「京都の仏具職人の技術を新たな分野のプロダクトに応用する」という取り組みは
その技術の多様性から、カタチや場所にこだわらない、
施工対象の広い、非常に自由度の高いものです。

多くのクリエーターとの協働は、その取り組みを具体的に実現していく手段なのです。


これからますますチャレンジを加速していくためにも、行動あるのみですね。


技の継承セミナー
京都伝統工芸協議会が主催される「技の継承セミナー」。

本年度の第一回目が開催されました。

「文化財を未来へ残すために」
いつもながら京都美術工芸大学教授の村上 隆氏が中心となって進められます。


伝統工芸と文化財修理の違いについて

伝統工芸は、
これから作るものであり、作品として新たに付加価値を付けていくもの。

文化財修理は、
過去の付加価値に対して修理・修復するもので、「何も足さない 何も引かない」が基本。

!cid_C08A6DB2-BDD7-43E2-A1FF-ED1255AF685C.jpg

古い仏具を修復する時、本堂の内装工事をやり替えるときに、
伝統工芸的修復方法では新調時と同様の仕上げとなります。
つまり、塗り直して美しくきれいにするのが基本。

文化財は価値を損なわないように保存修理することが基本。
「文化財の持つ情報」を撹乱しないことが大事だということ。

また、文化財には制作時のオリジナル情報と仕様過程における経年情報があります。

村上先生は、
古びてボロボロになったものをきれいにするだけが修理の価値ではなく、
文化財には、製作時のものづくりの歴史とその後生きてきた歴史がある。
そうした歴史を理解しているかどうかが大きな問題になる、と言われます。

!cid_23B58CE2-D2C3-4FA3-ABAE-28E3AA0BA33A.jpg

文化財指定予備軍である「未指定文化財」に対しても
京都府から助成金が出るようになってきたとのことですが、
ここに対して、文化庁側の技術だけでなく経済産業省側の技術も使っていくべきでは?
というのがこのセミナーでも出てきていることです。

”ものづくり”と”文化財”は管轄している省庁が異なり、京都府の中でも部署が違います。

文化財は、「保存」だけでなく観光客を中心に展示・公開する「活用」にも
重点を置くようになってきましたが、修理方法については、所有者の要望が
必ずしも反映されているとは言えません。

要するに、きれいにしてほしいところが、
保存名目で現状のままになってしまうこともあります。

50%割合の補助金があるから所有者は口出しできない、ではなく
「保存」の意味をお互いが理解し、意見交換を行い、
100年先のことも考えて修理しないとなりません。

ものづくり、文化財の両方に関わっている「若林」は双方が非常に良く理解できます。
若林の力は、文化庁の京都移転時にも発揮されることと思います。


豊かな社会を実現するために、これからも尽力していかねばなりません。


松田さん、受章おめでとう!
漆塗りの松田 勉さんが、今年春の叙勲で「瑞宝単光章」を受章されました。

そしてそのパーティーが昨晩、京都ホテルオークラにて行われました。

20191114014352804.jpeg


京都の仏具職人さんは、ここ最近は年に2回の叙勲でどなたかが受章されています。
それだけ長年の功績が評価され、推薦に値する方達が多いということです。

今回のパーティー…

ハッキリ言って松田バンドのコンサートでした。

「NEW HARP HERD ORCHESTRA」

2019111401460694a.jpeg


この松田さんがバンドマスターを務める立派なビッグバンドです。
総勢15名はいらっしゃるでしょうか。

管楽器を中心に、アマチュア?とは思えない大変迫力ある上手な演奏でした。

当の松田バンマスさんはサックス担当。
叙勲のパーティーで自分のバンドを呼んでコンサートするなんて
とても職人さんとは思えません。カッコよすぎます!!

いい加減なところも多いですが、憎めない(笑)
松田さんはとても親しみやすく素敵な方です。


これからもお元気で!
この度は本当におめでとうございました。


商工中金 全国交流大会!
全国から2000名近くの方々が京都へお越しになりました。

「第32回 商工中金 全国交流大会」

主に国立京都国際会館のイベントホールと本年完成したニューホール他を使用して
講演会、分科会、物産展、ワークショップなどさまざまな催しが行われました。

若林佛具製作所としては「物産展」にて数珠の販売出展、
「ワークショップ」の数珠つなぎ体験では、多くの方々にご参加いただきました。

お手伝いいただいたK念珠の皆様、
そして店長、仏壇部の女性の皆さんありがとうございました!!
(写真を撮るのを忘れました…)

私はというと、数日前に交流会の“場面転換”の責任者を頼まれ、
朝から交流会場にてリハーサルと打ち合わせに追われていました。

スタートは南観音山の「祇園囃子」。
“コン チキ チン”の音に合わせて参加者が入場してこられます。
総勢1500名!!
立食形式ですが、交流会場が広すぎて迷うほどです。

入場が終わると、祇園甲部による「手打」の入場。
ベテラン芸妓さんしか参加できず、また失敗が許されないとのことで、
特に慣れてない方は、かなり緊張の場のようです。

2019111211294661d.jpeg


「手打」の由来は下記の通りです。


歌舞伎が発祥の地の京都では、毎年十一月に役者の顔見世が行われて(慶長8年ごろ)、
四条鴨川の川原には太夫元、座頭、役者などが出演の契約を結ぶために「手打ち」を行いました。
(お互いに手を打ち合わせて契約を結びました)
このような固めの手打ちとは別に、顔見世の招き看板も上がり、
歌舞伎役者などが芝居小屋入りするのを迎えて、
馴染みのの人々が盛大に「手打ち」を行うことがありました。

これが現在の祇園の芸妓さんの「手打ち」の元になっています。
芸妓さんの「手打ち」は、舞ではありません。 
現在、南座の顔見世興行は、十二月に行われていますが、
昔のような契約ごともなく、芸妓さんの「手打ち」だけが、残っています。
「手打ち式」は数十人の芸妓さんが黒紋付姿に、
笹りんどうの紋の手ぬぐいを細長くたたんで頭にのせ、
紫檀の拍子木を打ち鳴らしながら舞台上にでてきます。
その中に「木頭」とよばれる人がおり、その音頭にあわせ、
お囃子や唄を歌い、ほめ言葉を言ったりと、とても華やかで雅やかなものです。

他にも芸妓さんの「手打ち」は慶事のある席で伝統芸として披露されます。


「手打」は何度か拝見したことはありますが、設えたのは初めて。
芸妓さんは草履を抜いで足袋で舞台に上がるため、それまで舞台上は土足厳禁となります。

祇園囃子は台本ではステージの上だったのですが、急遽フロアでの演奏となりました。
こちらの思いが伝わっていなかったこともあり

メンバーの皆様には申し訳なかったと思います。

交流会も場面転換もすべて無事終了。
JC時代以来、久々の設営感覚を味わいました。

私のお役目もこれで終了と思いきや、
翌日は6時から八条口でのゴルフの方々のお見送り。

眠い土曜日となりました!!
人生は勝つようにできている!
京都は朝晩が寒くなってきました。
暖房がないと足もとから冷えてくる季節です。

昨日は業界誌の取材を受けました。

他の方からも言われたことなのですが、
今回の6名のクリエーターとの「レゾンデートル」事業について
若林佛具さんは業界で一番このような取り組みをしなさそうと言われます。

老舗で悠々とやっているように見られるみたいです。
先人のイメージなのか長期ブランディングの賜物なのか(笑)

若林の190年歴史の中では、常にチャレンジの連続だったと思うのです。
会社を確実に運営していくためには、その時代に応じた変化が必要です。
すべての時代において、大小関わらずチャレンジをしてきたはずです。
なので、伝統は革新の連続などと言われるのです。

高度成長&人口増加時代の経営と、現在では違うのは当たり前です。

これからも
目的を持って、目標を持って、ビジョンを描きながら邁進して行きます。


斎藤一人さんのメッセージです。

「世の中甘くない」って言う人もいるけど、それは思い込んでいるだけ。
その甘くないという出来事は、あなたが引き寄せているんです。
目的を持ったら、目的に向かっていけばいいだけなの。
社会って、何回失敗しても、やり直しは利くんです。
失敗したら、改善する。失敗したら、改良する。
いずれ、目標に行きつくようになっているんだよ。

あなたは、あなたの人生という名の主人公なの。人それぞれドラマがあり、
波乱万丈だったり、つらい思いばかりだったり、いろいろあります。
でも、ここが肝心だよ。人生は「最後は自分が勝てる」ようにできてるんです。
重要なことは、その勝ちに気づける人と気づけない人がいるのです。
つらいことに立ち向かって、やさしさを身につけた人―
そういう人こそ、真の勝者なんです。


顔晴って、頑張って参りましょう!!


目的を持って行動しよう!
今年の経営方針のテーマは「“何のために”目的を持って行動しよう」です。
以下、経営方針の“はじめに”の抜粋です。
今期も、力強く事業を推進し、10年後の節目、創業200周年を目指して
行動して参ります。


一昨年の2017年、京都本社をリニューアルし若林グループは
「再スタート 行動元年!」として、新たな歩みをスタートしました。
若林の会社が生まれ変わる時期でもあり、次のビジョンに向かって行動を開始する、
まさしく“行動元年”でありました。
そして先期にはテーマを「創業190年 ビジョンを描こう!」として、
周年を意識した行動と中・長期のビジョンを描いてほしいとお願いしてきたわけです。
普通の会社であれば、区切りの10周年というのはとてつもなく重要な年度です。
一つの企業を10年続けるのは並大抵のことではありません。
しかし、有り難く190年も会社が続いていると、先人に対しての思いや
感謝が薄れてしまってくることもあります。
若林グループの一員としてここにいる以上、先人の力があってこそ存在しているという
ことを忘れてはなりませんし、その意識を呼び起こしていただくためにも190年という
節目を重く受け止め、その先のビジョンを描いてもらいたかったわけです。
今期も「190周年」という節目となりますので、先期同様気持ちを引き締めつつ
臨んでほしいと思います。

「“何のために”目的を持って行動しよう!」

本年のテーマは「目的を持って行動しよう」といたしました。
ビジョンを持って行動することは素晴らしいことなのですが、そこには必ず「何のために」やっているのかが重要となります。
夢やビジョンとは描くものであり、目標とは向かっていくもの、そして、そこにはすべて「何のために」というゴール、目的があります。
 若林グループは、社是「朝に礼拝 夕に感謝“合掌の心”」という社是のもと、
経営理念「私たちは関わる全ての人々の幸せと心のやすらぎを追求し、豊かな社会の実現に貢献する」ために動いているわけです。これが若林の理念であり目的です。

そもそもなぜ経営方針があるのでしょうか。各部門別の方針があるのでしょうか。
そして数字目標を立てるのでしょうか。
方針や目標は、目的達成のための手段です。スローガンを掲げたり、売上を上げたり、
意識を向上したりするのは、その手段のあとのゴールがあるからです。
若林の商品をお求めいただくことで従業員やお客様、世間が幸せになっていただける
のなら、それが目的です。
そして部門ごとに「何のために」という目的があります。
思いつきを含め、目的がない方針や行動は、途中で何のためにやっているのかが
分からなくなり、迷いが生じて挫折してしまいがちです。
常に目的を意識していきましょう。

話は変わりますが、日本の人口減少と高齢化は、企業にとっても大変深刻な問題です。
調査によると2019年9月現在、日本の人口は1億2615万人。
20年後の2040年には1億1000万人。
40年後の2060年には8700万人とされています。
65歳以上の高齢者割合も現在は人口の3.5人に1人ですが、
2060年には2.6人に1人となり、世界的に見ても、かなり人口減少割合が高く、
高齢化率の高い先進国となってきます。
日本においてこの先、長期的に国内だけで事業を回していこうというのは
かなり難しいと考えるのは自然な感覚です。
これはどの事業においても言えることですが、特に国内の製造業で国内の消費者だけを
相手にするような企業は、存続が危ぶまれます。

若林は京都という恵まれた場所を本社として事業をしています。
この先、国内では販売先、提供先の目線を変える、海外へ製品を提供していく、
そしてインバウンドに対するハード整備としての文化財修理に力を入れる等、
若林の強みを生かした戦略はまだまだ組むことができます。
従業員一人一人が将来のビジョンを描き、
明確な目的を持って行動すれば必ず道は開けます。
創業以来、長きに渡って仏壇・仏具一筋に歩んできた若林にも、
ようやく具体的な変化という波が襲ってきました。
この変化の波を切り抜け、外洋に出ていくためには、
具体的な行動を起こし続けるしかないのです。
皆さん一人一人がこの会社の将来を考え、来たる創業200年に向かって
目的を持って一歩ずつ進んで参りましょう。


京都仏具職人の未来は明るいです!!
近い将来、世界に通用するブランドとして、
京都の職人工芸が全世界に認められる日が必ずやって来ます!


定朝法印 九百六十二回忌
京都仏像・仏具の開祖として活躍された仏師「定朝(じょうちょう)」の
962回忌が営まれました。

宇治の平等院鳳凰堂の中央に悠然とお座りになっている阿弥陀如来坐像は
この定朝さんの代表作です。

詳細が記してあります↓

!cid_CF7281D3-5D85-48C4-8307-E245DD4AC92B.jpg

毎年の定朝忌、紫野の上品蓮台寺にて京都仏像彫刻家協会の主催で行われ、
京都府仏具協同組合の理事が出席します。
これは先述のように、仏像とともに京仏具の祖でもあるからです。

本堂での法要の後、お墓に移動してのお勤めです。

!cid_FE315270-25F9-4C33-8BC2-9DB7A9A6C73B.jpg

!cid_DA43818B-BA24-4F33-BA82-A90C036EA1B8.jpg

さて、
仏師定朝は「七条仏所」を開設し、一族、師弟とともに関係する職人を置きました。
ここからはその後、運慶・湛慶・快慶等のよく知られた仏師が現れます。

仏像を製作するためには、漆、金箔など多くの職人も必要としたのでしょう。
さらには錺(かざり)金具、彩色などの装飾も施されますが、
どこまでが仏所としての括りだったのかは不明です。

そしてこれが現在の京仏具の分業制度に繋がっていると言われています。

毎年ここで行われるこの定朝忌は、1000回忌まで続けると
仏像彫刻家協会の会長がおっしゃっていました。

歴史とルーツを知り、思いを馳せ、リスペクトすることも必要ですね。



copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.