FC2ブログ
朝に礼拝 夕に感謝!
京都にある老舗仏壇・仏具店から「あんなこと」「こんなこと」さまざまな情報を発信します。朝(あした)に礼拝(らいはい) 夕(ゆうべ)に感謝!
201906<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201908
人事を尽くして。
“人事を尽くして天命を待つ”のか、“天命を待って人事を尽くす”のか。
通常のことわざは、もちろん前者ですね。


松下幸之助さんはこのように言われます。

「人事を尽くして天命を待つ」


「人事を尽して天命を待つ」ということわざがある。
これは全く至言で、私はいまも自分に時どきその言葉を言い聞かせている。
日常いろいろめんどうな問題が起きる。だから迷いも起きるし、悲観もする。
仕事にも力が入らないことがある。これは人間である以上避けられない。
しかしそのとき私は、自分は是と信じてやっているのだから、
あとは天命を待とう、成果は人に決めてもらおう……こういう考え方でやっている。

小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題がたくさんありすぎる。
だから迷うのは当たり前である。
そこに私は一つの諦観(物事の本質を見極める)が必要だと思うのである。



もう一つの考え方。斉藤一人さん。

「天命に任せて、人事を尽くす」


人生の中で『人事を尽くし天命を待つ』というようなシーンは例外。
ほとんど場合、こっちが何も望まなくても向こうから勝手に来る。
未来は勝手にやって来る、未来は勝手に向こうからやって来る。
未来からやってくることは、必ず解決できること。自分で解決できない問題はない。
神様の出す試験はすべて自分で解くことが出来る問題ばかり。
来るものは来るのだから、どんとこい天命。『天命に任せる』という心構えが肝要。
変化とはチャンスである。
『天命に任せて、人事を尽くす』 (天命に任せて人智を尽くす)



そしてもう一つ。

「天命に安んじて人事を尽くす」

明治時代の真宗大谷派僧侶で大谷大学の初代学長、
清沢満之(きよざわ まんし)師のお話です。


例えば、資格試験などに挑戦するとき、合格するかしないかを考えるより、
開き直ってとにかく出来ることを一生懸命頑張ろうと心掛けたりします。
しかし、最善を尽くした結果、自分にとって悪い結果がでれば非常に落胆しますし、
また、心掛けてはみるものの結果のことが気になり、不安で仕方がなく、委縮したり、
頑張りきれなかったりすることもあります。
人間の心は弱いもので、「結果がどうあれ、最善を尽くすことが大切」というわけには
なかなかいかないものです。
一方、清沢満之先生がおっしゃった「天命に安んじて人事を尽くす」とは、
「ありのままの自分を受け入れ、最善を尽くす」というものです。
ありのままの自分、すなわち悩みや不安を断ち切れず、それに惑わされる自分という
ものに気づき、そんな自分を導いてくださる大きなはからい(天命=他力)に任せ、
最善を尽くしましょうということではないでしょうか。

親鸞聖人は「自力」ではなく「他力」によって人は生かされると説かれました。
ここでいう「他力」とは、他人任せであったり、運任せということではありません。
人間の小さな自我(自力)に任せるのではなく、自力を超えた大きなはからいによって
自然とある結果におのずと導かれるという「他力」を救いとし生きていきましょう
ということです。


それぞれ言い回しは違いますが、「最善を尽くす」ことにおいては共通していますね。
人間はこの世に生まれてきて、人間の姿を借りて修行(勉強)をしていると思います。

なので、常に最善を尽くして生きることが望まれているのでしょう。
しかし人間は弱いですから、なかなか日常的に人事を尽くすことができません。

やってくることに対して、また今のありのままを受け入れながら、
その時々に人事を尽くすことが、まずは必要なのでしょうね。



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.