FC2ブログ
朝に礼拝 夕に感謝!
京都にある老舗仏壇・仏具店から「あんなこと」「こんなこと」さまざまな情報を発信します。朝(あした)に礼拝(らいはい) 夕(ゆうべ)に感謝!
201908<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201910
「ものづくり」の考え方
今の伝統工芸は、ほとんどが明治時代に制定されたものである。

明治初期に日本の各藩から生産品を集め、ヨーロッパの博覧会へ出展した。
これが日本の伝統工芸品のもととなっている。
現在では特別な製品のように扱われているが、当時は日常的な手工芸品で
高級品ではあっても普通に使用するものであった。

京仏壇・京仏具は今でも職人の手作業でものづくりをしている。
木地、彫刻、漆、金箔、かざり金具、彩色、蒔絵、鋳物など。

寺院は本堂の大きさによってすべて形状や大きさが違うので、
一つ一つの仏具が受注生産になる。量産にはならなかった。

家庭用の塗(漆・金箔)仏壇は、畳や鴨居の寸法に合った規格品であったため、
低コストを求めて国内の他産地や中国へ製造が移った。
その価格(安価)が標準化してしまったため、
結果的に国内仏壇産地の製造が衰退し、生産地が空洞化してしまった。


さて、企業が長く「ものづくり」を続けていくためには
企業の考え方(理念や目的)がとても重要になる。

若林の経営理念(企業理念)は、
社是は「朝に礼拝 夕に感謝“合掌の心”」。
理念は「関わるすべての人々の幸せと心のやすらぎを追求する」。
すべての人々とは、従業員さん、職人さん、出入業者さん、そしてお客様。

もし、価格だけを追い求めて京都の職人を離れ、製品の内容をおろそかにすると、
結局、従業員が自信を持って販売できなくなる。
京都の職人に仕事が回らなくなり、職人が廃業、後継者もいなくなる。
お客様に感覚が伝わり、若林にご依頼いただく意味が徐々にわからなくなる。

いずれも皆が幸せになれない、心のやすらぎへはほど遠い。

市場が価格競争により安値化してしまっているなら、
そこから思い切って離れる勇気も必要である。
効率だけを追い求めていては、長続きしない。
適正な利益がないと企業は存続しない。

ものづくりの製品は、自信を持って勧められる製品でないといけない。
販売者、生産者、設計者が自ら考え、生み出したものには価値がある。

“ほんまもん”とよく言われるが、“ほんまもん”とは何か。
伝統産業でいうと、経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」など、その昔に
決められた技法に縛られたものをいうこともあるが全く本質ではない。

“ほんまもん”とは、人間の心の中にあるもの。
良きものを作ろうとする意識であり、気概であり、自分を表現するものだと考える。
そこから生まれてきた「カタチあるもの」が“ほんまもん”になりうるもの。
思いが製品を作るといっても過言ではない。

100年前に曾祖父が納品した仏具が修復で京都へ戻ってきて、
100年後に従業員やひ孫である私が見て評価している、ということが最近あった。
ここで”ほんまもん”かどうかがわかるなんて恐ろしい話。
時を越えて評価されるなんて、絶対手が抜けない。

逆に文化財修理では、前回の他社のひどい修理作業が露呈される場合もある。


長く続けていくには、思い切った方針転換も必要なときがある。

明治から100年以上、同じ形状、同じ製法で生産されてきた京仏壇も
ようやくどっぷりと変化の時を迎えている。
ここに新たなチャレンジの場が現れる。

京都に100年企業が多いのは、長く続けていくにはどうしたらよいか
をその時のトップが真剣に考えてきたから。
時代に応じて拡大、深化しつつ、事業承継のことも常に頭にあったはずである。

京都においては戦火を免れ、長く平穏な時代が長く続いてきたこと、
そして寺院や神社、各家元など、100年以上にわたって固定のお客様が
あったのも、企業が長く続いてきた理由と考えられる。


抜本的に市場が変わってしまったら、あるいはなくなってしまったら、
作る製品自体を変えないとならないのは当たり前の話である。
技術はそのままに、必要とされる市場に方向を変えていくのである。

ものづくり企業は、まさにチャレンジの時。
特に京都の中小ものづくり企業は、新たな市場を求めて
時には体力以上とも思われる大きなチャレンジが必要となるかも知れない。

続けることによって、必ず道は開けると信じて、今行動している。


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.